ネオサイエンスフィクション

自分の言葉で「好き」と言え

早めの昼にしたらもうおなかが空いてきた

人生の転換期にある。責任を負うべき他者が増えそうだ。

私自身が好まざるとも、機能的に私にしかできないことがあり、そうなれば私がやるしかないことが、あるのだ。

この世にはそういうことがたくさんある。

 

たくさんある中で自分のこの先をどうしようというのは何もかも不確定でストレスだ

。誰しもそうかもしれない。

「そうなったことに対して間に合わせる」ことは得意だが、「そうするために掴み取る」

ことに苦手意識がある。

チャレンジしたくないのかもしれない。成功体験がないのかもしれない。

人生の選択肢は大きいものも小さいものも、全て「逃げ」で構成されてきたと最近気がついた。

 

決断を後回しにして、より苦しいそれよりはこっちの方が楽かもで道を選び、今がある。

「間に合わせる」ために何らかのことはそれなりにやってきたはずなのに、自信が持てないのはそのせいだろうか。

 

コーヒーを飲んだら頭が痛くなった。全部デカフェとやらにすべきかなあ。

 

 

接触イベに関する経験不足からなる懺悔の会

なんだか気が狂って俳優の個人イベントにも行くようになった。……と以前書いた。

それで、先日また別の人のイベントにも参加した。

以下はその際の懺悔と、懺悔までの道程を示した文章である。

 

人の変化って怖いね。こんな人生があると思っていなかった。学生をようやっと終え、人並みの収入を得られるようになったのがかなり大きい。また人生が進むにつれて、生きている間には一期一会の機会が案外多いことと、不変のものはないと知ったことが変化の理由だと思う。

先日フィフステにて新テニミュに出戻りし、楽しくテニス(原作)のオタクと、俳優の茶の間オタクをしている。機会があれば個イベに行って金を少しばかり落とし、応援したいななどと考えていた。そんな中、舞台上で演技を見て気になっていた同世代の俳優についてもっと知りたくなり、配信を見ていたときに事件は起こった。

なんとその彼と同郷であることが判明し、気軽にメロつけなくなってしまったのである。

 

「何を言ってるんだ」とお思いになられることと思う。

わが町は大きいは大きい。国道が複数本通っている郊外の町だ。この町の中で仕事をし、家族を作り、暮らし続けるなら本当にちょうどいい。しかし、都会で何かを為そうとすると何もかも不自由である。一番は立地だ。とにかく駅へのアクセスが悪い地域が多い。あの町のたいていの高校生は、進路が確定したあと残りの春休みで普通自動車免許を取得する。文字通りの命綱だからだ。

私が住んでいた地域から遠く離れた(電車で行くなら別の市区町村を経由しないと辿り着かない)都会に直結している路線が通っているエリアはもはや「街」である。入ってるテナントからしてもう違う。別の街だ。東名阪を知った今となってはわが町の「街」も大したものではないと分かっている。しかしとにかく子供の身分には、町の出身であることが理由で何かの選択肢がなくなることが本当に多かったのだ(n=1)。

ゆえに、くだんの彼の駆け出しの頃の苦労話や、学生時代の話を聞くと、脳が勝手に情報の解像度を上げてしまって、苦い味がする。あの町で進路を考える時の妙な閉塞感、低い最低賃金、そもそも学生を雇ってくれるバイト先が多くないetcetc……積極的に思い出したくない人生前半が思い起こされる。

同郷で悪くない点もある。芸事には詳しくないが、その人にラベルをつけるなら「売り出し中の俳優」だろう。困難と不確定事項の多い世界でサバイブしようとしているその人の姿を見ると、自分も頑張ろうと思わせてもらえた。自分も下手をすると数年後に無職になる身分ゆえに、同郷の同世代の人間が難しい世界でもがいている姿を見ることは励みになった。

 

今回参加したイベントにはお見送りがあった。退出の際、直接お土産を手渡ししてもらえて、かつ一言ほどならやりとりができるというものだ。

悩んだ。大いに悩んだ。伝えたいことなどない。あえて捻りだすなら「売れてくれ、認知されろ」である。少しずつ失われつつあるかもしれない「推し」*1概念である。

他に伝えたいことと言えば、感謝かもしれない。あの町から出て、今のような存在になってくれたこと、頑張り続けていてくれること。これらに対して感謝をしたい。

 

それでまあ、懺悔の動機だ。お見送りの際に伝えてしまったのだ、「同世代の同郷だ」と。

ノリが軽いように見せたい人のようなので、ノリの軽い返答を求めていた。「ダチじゃん!」的な。その返答を受けたのち、「応援してます」で締めるつもりだった。

やりとりの詳細はここには書かない。ただ、ガチ恋営業ならば大正解なのではないか、というような返答をいただいた。

 

ここから懺悔である。ほとんど推敲していない。

あのさーーーそんな返答されると思わなくてさーーーーーびっくりしちゃってさーーーーーーーなんとか「一緒に頑張りましょう」って返事したんだけど(反応を見るにたぶんこれは聞き取れてなかったと思う)、その時にはもう剥がしの人に退くように急かされててさーーーーーーーーーーーーーーいや退くつもりはある、ご迷惑をかけたいわけではないけど、退くけど向こうが話してる途中にそそくさ離れるのもなんか悪い様な気がしてしまって、ああああ、いや運営の方には迷惑ですよねよく知ってるよ……。

だから懺悔はその思いのほか長い時間をかけてしまって申し訳なかったことと、あと向こうからの返答に対する返答のシミュレーション不足でさああああーーーーーーだって旧J事務所のベテランアイドルの茶の間してた経験しかないから接触とか皆無で、だってさーーーあ゛ーーーーーーーー無理。無難なことだけ言ってそそくさ離れるべきだった。

あとこの懺悔、実は接触の機会の度にやっている。「そんなものだよ」と言われたいような、100人規模じゃそんな一人のそんな一言なんて相手に何の影響も与えてないよとも言われたいような気持ちで数日引きずるのだ。これらの懺悔には明確な理由がある。自分の過去の体験を引いてきてしまうのだ。自分が大量に来た人間を裁く接客のアルバイトをやっていたとき、気になる言動は結構残った。ポジティブなのもネガティブなのも。しかしより後を引くのはネガティブな言葉を投げられた方だ。だから自分がそれをしてしまったのではないかと怯えている。自分が対人を苦手としているだけかもしれない。全てのオタクなんて挙動不審になる生き物のような気もする(過言)。

あとこういうオタク向けイベのスタッフのバイトもしてたことあるから剥がしの人にご迷惑かけてしまったようなことも引っ掛かっててぇぇ…………大変なの知ってるから………………。ガチ目に剥がされたわけじゃないんだけどその行為をさせてしまったこと自体をもう後悔していて…………………………。「今日は楽しかったです、これからも応援してます」で良かったじゃないか……………………………………………………。

 

インターネッツに罪を後悔し、放流したことで少し楽になれそうな気分になってきた。ふとした瞬間に思い出す程度には引きずっていた。綺麗なパッケージングの挨拶ができなかった程度のことを引きずるな、と言えばそうなのかもしれない。しれないが……。

というか当人に充てた手紙とかにすればいいのかもね。謝罪するか。…………何を???ではある。形にするなら純粋な応援の気持ちを伝えるべきな気がするよ。

最後に、イベントから帰ってから家族に聞かれた質問で締めたいと思う。

 

Q. ガチ恋になりましたか?

A. いやそもそもね、彼のノリ自体が同郷にいた似たテンションの同級生たちを思い出させるから別に……「好き」かというと…………。ただ機転の利く人間がオタクとしての好物なので、そんな部分を見せてもらえたことが嬉しかったです。

 

*1:今般用いられている「推し」という概念には、「好き」が多分に含まれているように感じる。なんなら場合によっては「好き」の言い換えでしかないとも思われる場合がある。私がここで伝えたいのは「好き」ではなく、「チームB推し」で歌われたような「推し」の概念である。すなわち、自分が見つけたその人が、自分がその人に見出した魅力を世間に知られ、認められ、大衆にとってそこにいることに価値がある存在になってほしい。……というような心持ちである。この「推し」概念によく当てはまるのが以前から応援しているvのokd(検索除け)である。彼はCM起用がかなり多い。これは社会的な好感度の高さの表れとも考えられるため、私は「CMに出ていること」より「CMに起用される存在であり続けていること」にいつも喜んでいる。

2日間でセブンの中本商品3回食べても終わらない

たびたびここには「書けない」「書き始められない」「ヤバい」を記録してきた。はてなブログを開いたということはそう、現在もまさにそれである。年の瀬ですね。

 

10年ぶりに観劇した新テニミュに狂わされたのは以前書き散らかした通りだが、その後もう一度チケットを買い現場に入り、配信を2回買い、ついには俳優個人の配信を見たり聞いたりイベントにもちまちま参加するようになった。これは「自分はいわゆる茶の間オタクであるからして、そんな熱量で個人のイベントに参加するのは他のオタクや俳優本人に申し訳なく感じるのだが、つまるところ俳優個人にお金が落ちるならどんなマインドで参加したってプラスに変わりないのでは?」と考えが変わったからである。なお、現状その人(達)についてはそこまで法外に積まないといけない商売をされているわけではないので「このくらいならまあ、いいか」の気持ちでお金を使っている。V6のゆるーいオタクをしていた頃と年間を通じた出費はそこまで変わらないと思う。その上、特典目当てで同じ映像を買うよりもイベント参加の方が意義があって健康に良い気がしている。

ゆえに先日あった1分間の接触では、相手にほぼターンを回さず下を向いたまま感謝の言葉を述べ続けた。自分が本人のオタクかどうかを考える以前に、そもそものマインドがテニミュのオタクなので、演じてくれたこと、最高のものをお出ししてくれたことに感謝したかったのだ。昨今はSNSのDMが主流らしいが、DMで感想を伝えるなど怖すぎる。古い人間だから。手紙が主流の時代はいつ終わったんだ?恐怖のレベルはDM>手紙>接触イベである。何故なら接触は誰しも緊張するはずなので、多少妙な言動行動を取ってもおかしくないし、何より本人に金が落とすことができるからである。

だからこそ接触イベに参加した。合間を縫ってなんとか相槌を打とうと、あるいは返答しようとしてくれてありがとうございました。お礼を言いに行ったのに、何故か目の前で実演してくださったサイン入りのチェキをいただいた(そういうビジネス)。「まだ乾いてないかも」とお気遣いまでいただいた。インクが乾きもしない時間分しか買わなかったのはこちらなのに。

……いやそもそも、この言説が出ること自体がおかしいのかもしれない。うんやっぱりおかしいかも。何故ならこれで良心的な価格な方だというのを小耳に挟んでいるから、インターネッツワカハイ耳年増だから。私が今回使った金額以上に積む必要があるのに接触はもっと短い、あるいは接触の機会すら持てない、という例を観測している。なんだこのビジネス、なんなんだこの業界。

ちなみに、接触中ほぼ下を向いていたのは机を挟んで正面にいる人間が怖かったためである。私の生まれた郊外には金髪の男性などいない。いるとしたらご所属が怖い人か、深夜のコンビニ前か国道沿いのドンキの店内にいるちょっとヤンチャな種族だ。ゆえに男性が金髪なだけでビビる。仕事で接することがある若い男女にもまだビビり散らかしている。正面を向くことなく話し続けた無礼を許していただきたい。それとダークトーンの方が個人的には好きなので髪を暗めにされるご予定はありませんか?

 

そんなスタンスになって2か月ほど、現状の議題は「応援したい俳優が出演しているということにしかバリューがない舞台を観劇するか?」である。

私は基本的に守銭奴であり、かつ自分の中の規範の自分を説得できなけえれば金が出せないという特性を持っている。心理的に最も高いレジャーがTDRであるため、1回のイベントのチケット代とグッズ代でTDRの入場料を超えてこなければ「まあいいか」判定である。仰々しさの割にゆるい。

その規範を超えて新テニミュには惜しまず金を使えるが、それでも根っこの性質から言って恐らく2桁回数現場に入ることは私の精神が許さない。だから、新テニミュよりバリューの低い作品に金を出すハードルはものすごく上がる。しかしそれでも応援はしたい心がある。一応確認のため、当該作品の過去シリーズの映像は見たのだが、演じている役柄やビジュアル、それにセットや演者らの技術等のクオリティの部分で「……?」と思ってしまった。そのような作品の観劇に行くために金を使うことは本当に正しいのか?とずっとうっすら悩んでいる。誰に許しを請うているのかは分からない。内なる規範がそういうから仕方ない。

ゆえに多分行かない。すみません。しかし「でもここで行かないのに、本当にファンと自認していいのか?」という問答が始まる。なんでもっと気楽に構えられないんだ。いいだろうファンクラブに加入して毎月定額落としてるんだから、TOとかガッツ(とか今でも言うのか?)を名乗ろうとしているわけじゃなく身の丈で楽しくやってるんだからいいんじゃない?なんで第三者から見た状態をいつも思案しているんですかね?いい年齢してやめたらそれ?無駄過ぎる悩みでは?ファン活動くらい別に理論武装せんで楽しいと思うことをやりたいだけやったらいかがですかね?

 

ざっくばらんとは言え、こんなことなら30分ほどで苦も無く2000字書けるのに、何故あと数千字が書きあがらないのか。今回取り組んでいるものは単純に何かが複雑、ということではなく心理的な抵抗が一番強い。それはよく理解している。

しかし書かないと終わらないのでやります。手を動かしまーす……。