ネオサイエンスフィクション

自分の言葉で「好き」と言え

V6 grooveに参戦した精神の備忘録

(眠くて今日の研究を打ち切って書いている備忘録なのでバラバラしている)

(勝手な投影をして勝手に好きになったことに対する懺悔があるので隙自語がある)

 

復活当選したので参加することができた。

過去にWOWOWで20周年コンサートを見て、このライブを見たいとファンクラブに入って、それで生のライブはこれが最初で最後だった。

 

身体表現が加わると曲の魅力はまた変わるのだと、「分からないだらけ」をループして聞きながら書いている。

この曲がアルバム「STEP」の中で一番お気に入りになった。

ライブでのパフォーマンスが本当によかった、双眼鏡越しに食い入るように見た。

「素敵な夜」も、演出が好みだった。

オープニングの「雨」もよかったな。

 

ライブ数日前からとてつもなく落ち込んだ。

これから向かうのは弔いであると感じていた。最初で最後のライブは、これが最初のあいさつで最後の別れだと思っていた。

終わってみれば、ライブで降ると聞いていた銀テープもなくて、2Fの高い花道もなくて、トロッコにはパーテーションがついていて、スタンド席からでも変わってしまったものばかりで少ししょんぼりもした。

 

ライブに向かう途中で黄色い花のモチーフのイヤリングを買ってつけていった。

光らない、艶消し仕様のブーケのようなイヤリング。

これを手向けにいくのだ、そんな思いで向かった。

周りはグループのお客さんばかりで、皆さん意外とはしゃいでいて驚いた。

家族連れも男性単独のお客さんもいて、いいグループ活動だったんだなと思った。

 

Full Circleのパフォーマンスで少し泣いた。

初めて聞いたときは25周年の集大成、この先の活動への覚悟の曲だと思って聞いていた曲が、今では全ての集大成、終わりの曲、これからばらばらになっていく過程での集大成の曲になった。

感じ方が変わったことで、歌詞がさらに刺さる刺さる。ひとりの人間を如何にコンテンツ的に消費してきたのかと(それ自体はこれからも続いてしまうのだけれど)。

「後悔はない 結果オーライ」に勝手に救われる。これを歌ってくれてありがとう。

 

私はままならなかった自分の人生のあのころのことを、やりたいこととやらなければならなかったことが乖離していた頃のあなたに投影して、板挟みの苦しみを味わっていただろうその頃に夢を馳せていた。なんなら今でも苦しんでいてほしいと思っている、それでも結果を出す姿が好きだから。

そういうのがかっこいいなって思ったし自分もそうありたいと考えている。

(まだ苦しい、ままならないのは今だってそうだ、自分のことだけ考えられる時間はいつ来るのか?)

 

どれも、どの時代も嘘ではないのだ。ペルソナの完成度が違うだけで、それを行っているのは同じ人間なんだ。やらなければならないことを行っているとき、その行動自体は嘘じゃない、やろうと思ってやっているんだ。

過去の薄いベール一枚通した瞳は板挟みの苦しみからであれと願う。

本当に申し訳ないのだけれど、そこにはその美しさがあった、それに惹かれた、惹かれてしまったんだ。私も同じようにそこに嘘はつけないんだ。

 

でもこんな残酷な消費の仕方ないよなと思って、でもやめられない、その姿を好きになってしまったから。板挟みでも求められたことは確実に結果を出すところ、とか、それでも向ける掌の振り方は笑顔の向け方は変わってないところとか。

業の深さは忘れずにいるからどうかこのスタンスでいることを許してほしい。

勝手に救われているんだ。26年過ごしたらそうやって達観した瞳になれるのか、まだ長い、長いけどあなたを手本に私も大人を目指すよ。

26年は長い。私の人生とほぼ同じ長さ。

生き続けられたらいつか理解できるようになるのだろうか。

 

追いかけさせてくれて、応援させてくれて、ありがとうございました。

思っている時間は本当に幸せでした。きっとこれからも寂しいけど幸せなはずです。

26周年の活動・応援に感謝している姿を見て、私はそのうちのほんの一部分しか知らないからいたたまれなくもなった、でもライブで得た多幸感は本物だった。

グループはなくなっても活動や曲はなくならない。形のあるものをたくさん残してくれてありがとう。たった数年追いかけただけの私でも寂しい、けどこの歌と共に過ごしていける、そう思うことができる、それは希望だ。

どうかどうかこの先の道に幸福が満ち溢れていますよう。