ネオサイエンスフィクション

自分の言葉で「好き」と言え

鍵のかかる部屋にこもる

(精神のためのタイムアタック:10分)

 

鍵のかかる部屋で生活したことないな。1Kの部屋を除いて。あれはもう「部屋の鍵」ではなく「玄関の鍵」だろうよ。

あと10分で私をまともな人間に仕上げてください。どうか正気に。

 

思えば昔からドアの外の音に怯える生活でした。鍵のかからない部屋でひそかに声を殺す、こちらに来るなと耳をそばだてる。音が近づいてくるなら心構えと表情の作成。不自然ではないようにするリアクションの想定。そしてドアが開く。

そういえばそうだった。いつだってそうだった。

 

やるべきことをやれば楽になるだろうか。やるべきことってなんだ。

言いたいことはなくなった。きっと本当は言いたくなかったのだ。だって言いたいことがないから。そんな詭弁でごまかしてきた精神にとうとう隠せないボロが出る。そんな事実や現象はなかったね、としてきた。今だって外の音に怯えてウィンドウ閉じたり開いたり。滑稽だね。鍵のかからない部屋とは。音が遠ざかって安心する。ああ、くだらない。くだらないと思うのに目がうるむのはどうしてだろう。だんだん何がトリガーなのかわからなくなってきました。最近特に涙が出る気がする。そんな反面昔からこんなだったような気もする。「昔からだから問題ない」で呑み込んできたものが、限界値を超えたような気もしている。断言できない。

だってこんな甘えた環境で暮らしているのにそんなはずがないからだ。

(それ以前の問題が解決されないままに眠らされている可能性に賭けている)

 

 

慰められなかった。作業してて涙の出る作業に夢中になれば涙が出なくなると思いますか?

涙が出たって甘えなので。異常じゃない。でもこう書くだけで涙が出てくる。もはや笑える。

音楽も救いにならない。今だと全部気の散る音にしか聞こえない。

でも作業中に何もなってないと現実しか見えなくてしんどくなる。脳の一部分のリソース潰して正気でなくしてからやっと本番だよ。

 

では本番5秒前です。スタート。