ネオサイエンスフィクション

自分の言葉で「好き」と言え

欅坂46「アンビバレント」に見た己の哀愁と最近の話

 女性アイドルというものが嫌いで好きです。手の届かないものとしての存在。きらきらしたものの代名詞。私もなりたい、ああなってみたい。モーニング娘。恋愛レボリューション21を歌ってる頃から恐らくそう思っていたのだと思います、今思い返せば。私もあのきらきらにあこがれる女の子でした。誤解を恐れずに申し上げれば今だってそうです。追いかけはしないが世間の話題になっていれば気になる。

 

 さて、個人的にアイドルと言えば「きらきらしたものの代名詞」。そして手の届かないということの意味は2つあります。ひとつは、単純に高嶺の花という意味。ふたつめは、あの子たちのようなきらきらを私は持って生まれられなかったという、コンプレックスとしての「手の届かない」もの。私はスクールカーストの底辺にすらなれない女だった。一匹狼、外れ者。なまじあの頃、あの田舎で勉強だけは少しだけ人より出来てしまった事もあり、私の存在はクラスで別枠だと感じることは多々ありました。居心地の悪さ。外れた人間、きらきらを持てなかった人間、世の中にいる大勢の女の子たちになれなかったあの頃の叫びを歌ってくれているように感じたのが欅坂46です。

 去年の紅白で見た「不協和音」とこの前のMステで見た「アンビバレント」しか知りません。あとは衣装が軍服チックだったりしてシック系でかわいいなーとか。少なくともこの両曲は響きました。不協和音はなんかちょっと嫌に聞こえるところもあり(平P曲って調子悪い時に聞くと無性にイライラすることありません?あれです)町で聞くと気になるくせに聞きたくなくて顔をしかめてましたが、今回のアンビバレントは正直びびっときた。最初音が遠くにこもった感じから始まるのよい、そんな風にある意味ゆったりと始まるのに畳みかけてくるメロディー、そう一小節にほぼ限界まで音符を入れるメロディー。歌詞がどうであれあの「曲」は好み。

 問題の歌詞。あー、あと10年早くこの曲が世に出ていれば!ドはまりしてただろうに。いいことか悪いことか、過去の私はシンパシーを感じられるけど今の私は生きるのに「社会化」しすぎた、もうこの歌詞の理想通りには現代日本社会で生きていけないことを知ってしまった、経験してしまった。もちろん歌詞の主人公も知っているし分かっているんでしょうそれが生きるうえで無理なのは。だから「アンビバレント」。でももがいてるよねえ。ああ本当に、あと10年早く出ていれば。救われた「私」がいたかもしれない。

 でも、ルックスの優れたきらきらした女の子たちが、笑顔の素敵な女の子たちがこの曲を歌って踊っていること、歌って踊って「くれている」ことには変わらず魅力を感じます。あー、クラスカーストの上の方できらきらしてた生活をしていたであろう(完全な偏見)彼女らが、外れ者の歌を歌う。誰しもいつか持った感情かもしれないけどそこで死にたいとまでは思わないでしょう、いや人類みな一度はそう思うものなの?だとしたら私のあの頃の孤独感はどこへ行ってしまうんだろう。手首切ってみたりなんかしてさ。まぁともかくね、だからなんか、その、憧れたレベルのルックスを持つ彼女たちが私のような外れた人間が悩み苦しんだ感情を歌にして歌い踊ってくれているという事実にほの暗い喜びも感じている。あと技術的なところで言えば、歌手の訓練された優れた声じゃなくて、ある意味まだ慣らされて(馴らされて/均されて)ない女の子たちの声で歌われるのも耳に残るんだと思ったりする。それとあのスカートの裾をつまんで振るダンス好き。かわいい。話が最後少し外れたけど、とにかく、そう、私はもうこの曲に100%共感しきれなくなってしまったことに、哀愁を感じました。

 

 さて哀愁の話が終わったのでここ最近の僕の話をします。体調が悪い。

 とにかくHPとMPともに100%に回復しない。ここ1、2か月ごはんが食べられない。正確には完全に食べられないのではなく、成人が食べるべき量が入らない。おかげで痩せちゃったよ。少し絞ろうと思ってダイエットしたり筋トレしてた時期をあざ笑うかのように。ちくしょう。今はね、昨日家族に呼ばれて夜に外食したらその後内臓痛すぎて眠れなくて起きてこれ書いてる。立ち上がると痛い。明日年内最後の立ち仕事バイトあるし研究室行って休みの間にやっときたいこと少しでも片づけたいんですけど。そう研究が進まない、起きられない食べられない。酒の量もあからさまに減った。飲まなくなった。いやもともとそんな飲まないよ?週一とかだったけど。まあ今はちょっと勢いつけるのと痛くてやけくそになってるからさっき冷蔵庫から取り出したシードル飲んでる。これのせいで眠くなってくれないだろうか。

 HPは食べないから回復しないのだと仮定してMPの方。精神的な、気力のことを言ってるのだと思っていただいて差し支えないです。これがまた、戻らない。研究が進まない。やりたいビジョンはある。そのためにやるべきことまでおぜん立てした。休みの時期はインプット主体の時期だから立ち上がって椅子に座って資料を取り出して読むだけだろう、違うのか、それができない。じゃあ、今は休みだしサボってもいいよ、ならゲームでもやったら?これもできない。コントローラーを握って電源をつける力がない。やりたいことはたくさんある。友人と会ってゲームするとかはできる。楽しかった。でも、家にいると、食べない遊ばない。本当に私か?一日なんで3食なのだろう、もっといろんなもの食べたいのにと思っていた私どこ行った?僕今日はこれだけでいいや、とか同じ人間か?自分でも焦りはある、でも食べられない、食べたくない、やりたくない。ほんとはやれる体力があるのにサボってるのかほんとにやれる体力がなくてサボってるのか分からなくなっている、やることがあるのにやってない状態はサボりでしょう?なのに、これが、どちらの方向にも進まない。部屋も片付かない。部屋が汚いとさらに比例してダメになるよねわかる経験がある今年の夏とか。でも今の私には転がるコートをハンガーにかける気力も、なくてな。

 

 ああ寝よう、このまま置き続けてもいいことないから。9時すぎでいいから起きて、その後研究室行こう、で、少し資料読めたらこの前見つけた大学から徒歩10分の漫画喫茶また行こうよ、綺麗で良かったじゃないか、血界戦線そろそろ読み終わるだろうファーストシーズン分は。今年中に読み切れよ。ああなぁ分かるよ言われなくても知ってるよ、娯楽すらタスク、「やるべきこと」に組み込まないとこなせないなんてあまりにも不健康だよ。どこかおかしいよ。やりたくてやることはないの。研究?そうだね、やりたいことだ。でも資料を手に取る気力はなくて、かといってゲームもできなくて焦ってるんだろおかしいもんな。だから明日は研究と娯楽を同じ天秤にかけて同じ重さなのだと「思い込ませて」それでこなそう。そうしよう。

 

 あ、そうだ前回書いてた面接受かりました。今はアルバイトかけもち3つです。どこのアルバイトからもそれぞれ学べることがあるので、お金を稼ぐ以外の副産物があるから続けられてますが正直これもインフルエンザとかを理由に一度投げ捨てたい。誰か助けてほしい。一度リセットしたい。自分でも自分がどこかおかしくなってるのは、わかっているんです。だから誰かドクターストップかけてよ。己の意思だけじゃ、到底止まれないし、サボってる罪悪感とか感じるから、誰か意思を以って止めてくれ。その上で叱ってくれよ。なにもできてないんだ今、焦りだけで、その焦りすら感じられなくなったら、もう終わりだろ?