ネオサイエンスフィクション

自分の言葉で「好き」と言え

引き出しにはジェネリックカロリーメイトもある

なんだか本気で疲れてしまった。

私が身体的に忙しい週と、家族がコロナにかかっての療養期間が被ってしまった。

気を遣う事項が増えるので単純にしんどかった。そんな週も明日の労働で終わる。でも今日はほぼ何も手についてない。人としてダメだ。

頻繁(?)にこれを書いていたころから随分と経ったけれど、紆余曲折を経て今日もまた研究室にいるし、うだつの上がらない人間なのは変わっていない。

相変わらず平沢進の音楽を愛し(ZCONはその頃の陰謀論者ムーブ等が気に入らなくてスルーしたが、この前のハイノンは行った最高だった泣いた)、オカダジュンイチの仕事を愛し、あとは美味しいものが食べられたらいいと思っている。

 

美味しいものと言えば、あすけんを一人暮らし以来久々に使っている。一度減った体重が明確に増えたからだ。

この2週間弱で、ビタミン類を補うサプリを飲んで、プロテインたんぱく質を補い、ヘルシー志向の食事にすると比較的高得点を出しやすいことが分かった。

あの頃は3食食べているのに毎日あすけんの女を泣かせていた。カロリー不足で。

一体何食べてたんだという呆れと、茶化して自分で言っていた”限界一人暮らし”は客観的に見ても”限界”だったのだなという思いがある。

でも今の研究室での昼飯だって含有する意味は違えど”限界”だろう。オートミールと塩昆布と毎日持参して、オートミールはお茶漬けにする。あとは毎日裏のスーパーで千切りキャベツを買い、研究室にストックしたごま油と前述の塩昆布をかけてチンしている食べている。

研究室にストックされたごま油は”限界”以外の何物でもない。でも別の私は「ドレッシングをストックするのと違って気温に左右されなくていい」と言っています。書き手の私もそう思う。天才かもしれない。

 

何もできないなりに定時が来る。今の私は一応「定時」がある身だ。

今日は隣の駅まで歩いてみようと思う、なんと2kmを切っていた。短い。都会はすごい。

気分転換になってくれることを期待する。

 

残りの少しの時間で少しでも進捗を進めよう。進めます。今日の進捗の無さを心の底から悔いています。

何もできなくて何もしないより、何もできなくてもドロドロでも何かしていた方が落ち込みは少ないんだ。考え方の問題で。

やるか。

V6 grooveに参戦した精神の備忘録

(眠くて今日の研究を打ち切って書いている備忘録なのでバラバラしている)

(勝手な投影をして勝手に好きになったことに対する懺悔があるので隙自語がある)

 

復活当選したので参加することができた。

過去にWOWOWで20周年コンサートを見て、このライブを見たいとファンクラブに入って、それで生のライブはこれが最初で最後だった。

 

身体表現が加わると曲の魅力はまた変わるのだと、「分からないだらけ」をループして聞きながら書いている。

この曲がアルバム「STEP」の中で一番お気に入りになった。

ライブでのパフォーマンスが本当によかった、双眼鏡越しに食い入るように見た。

「素敵な夜」も、演出が好みだった。

オープニングの「雨」もよかったな。

 

ライブ数日前からとてつもなく落ち込んだ。

これから向かうのは弔いであると感じていた。最初で最後のライブは、これが最初のあいさつで最後の別れだと思っていた。

終わってみれば、ライブで降ると聞いていた銀テープもなくて、2Fの高い花道もなくて、トロッコにはパーテーションがついていて、スタンド席からでも変わってしまったものばかりで少ししょんぼりもした。

 

ライブに向かう途中で黄色い花のモチーフのイヤリングを買ってつけていった。

光らない、艶消し仕様のブーケのようなイヤリング。

これを手向けにいくのだ、そんな思いで向かった。

周りはグループのお客さんばかりで、皆さん意外とはしゃいでいて驚いた。

家族連れも男性単独のお客さんもいて、いいグループ活動だったんだなと思った。

 

Full Circleのパフォーマンスで少し泣いた。

初めて聞いたときは25周年の集大成、この先の活動への覚悟の曲だと思って聞いていた曲が、今では全ての集大成、終わりの曲、これからばらばらになっていく過程での集大成の曲になった。

感じ方が変わったことで、歌詞がさらに刺さる刺さる。ひとりの人間を如何にコンテンツ的に消費してきたのかと(それ自体はこれからも続いてしまうのだけれど)。

「後悔はない 結果オーライ」に勝手に救われる。これを歌ってくれてありがとう。

 

私はままならなかった自分の人生のあのころのことを、やりたいこととやらなければならなかったことが乖離していた頃のあなたに投影して、板挟みの苦しみを味わっていただろうその頃に夢を馳せていた。なんなら今でも苦しんでいてほしいと思っている、それでも結果を出す姿が好きだから。

そういうのがかっこいいなって思ったし自分もそうありたいと考えている。

(まだ苦しい、ままならないのは今だってそうだ、自分のことだけ考えられる時間はいつ来るのか?)

 

どれも、どの時代も嘘ではないのだ。ペルソナの完成度が違うだけで、それを行っているのは同じ人間なんだ。やらなければならないことを行っているとき、その行動自体は嘘じゃない、やろうと思ってやっているんだ。

過去の薄いベール一枚通した瞳は板挟みの苦しみからであれと願う。

本当に申し訳ないのだけれど、そこにはその美しさがあった、それに惹かれた、惹かれてしまったんだ。私も同じようにそこに嘘はつけないんだ。

 

でもこんな残酷な消費の仕方ないよなと思って、でもやめられない、その姿を好きになってしまったから。板挟みでも求められたことは確実に結果を出すところ、とか、それでも向ける掌の振り方は笑顔の向け方は変わってないところとか。

業の深さは忘れずにいるからどうかこのスタンスでいることを許してほしい。

勝手に救われているんだ。26年過ごしたらそうやって達観した瞳になれるのか、まだ長い、長いけどあなたを手本に私も大人を目指すよ。

26年は長い。私の人生とほぼ同じ長さ。

生き続けられたらいつか理解できるようになるのだろうか。

 

追いかけさせてくれて、応援させてくれて、ありがとうございました。

思っている時間は本当に幸せでした。きっとこれからも寂しいけど幸せなはずです。

26周年の活動・応援に感謝している姿を見て、私はそのうちのほんの一部分しか知らないからいたたまれなくもなった、でもライブで得た多幸感は本物だった。

グループはなくなっても活動や曲はなくならない。形のあるものをたくさん残してくれてありがとう。たった数年追いかけただけの私でも寂しい、けどこの歌と共に過ごしていける、そう思うことができる、それは希望だ。

どうかどうかこの先の道に幸福が満ち溢れていますよう。

 

 

永遠にそこにあってくれと願う

なんでオペラトルペもV6もなくなってしまうんですか?

完全普通マニュアル、まだ聞けていない。失われたものを認めるのが怖い。

 

とうとう私にも通院中の肩書きがつきました。でも通院し始めたら生活が楽になりました。

保険証の履歴?から実家の家族にバレることはもうないから、安心して通えます。

そんなことで悩んで通院できなかったの馬鹿みたい、と思うけど、これが一番の懸念材料だったんだよね。

あの頃、家族を信頼して話すという方法が取れる環境だったら今の通院もいらないんだよ。それは分かる。

 

また学生になりました。

もう逃げられないぞ。

まだ甘えがあった前の過程とは違って、もう一人で立たなくちゃいけない、というのは自覚させたい。

願望だからまだできていない。

 

すっかり外にものを言うことがなくなってしまって、書きたいことが出てこない。

リハビリしていこうと思います。

 

24曼荼羅最高でした。

 

 

 

 

鍵のかかる部屋にこもる

(精神のためのタイムアタック:10分)

 

鍵のかかる部屋で生活したことないな。1Kの部屋を除いて。あれはもう「部屋の鍵」ではなく「玄関の鍵」だろうよ。

あと10分で私をまともな人間に仕上げてください。どうか正気に。

 

思えば昔からドアの外の音に怯える生活でした。鍵のかからない部屋でひそかに声を殺す、こちらに来るなと耳をそばだてる。音が近づいてくるなら心構えと表情の作成。不自然ではないようにするリアクションの想定。そしてドアが開く。

そういえばそうだった。いつだってそうだった。

 

やるべきことをやれば楽になるだろうか。やるべきことってなんだ。

言いたいことはなくなった。きっと本当は言いたくなかったのだ。だって言いたいことがないから。そんな詭弁でごまかしてきた精神にとうとう隠せないボロが出る。そんな事実や現象はなかったね、としてきた。今だって外の音に怯えてウィンドウ閉じたり開いたり。滑稽だね。鍵のかからない部屋とは。音が遠ざかって安心する。ああ、くだらない。くだらないと思うのに目がうるむのはどうしてだろう。だんだん何がトリガーなのかわからなくなってきました。最近特に涙が出る気がする。そんな反面昔からこんなだったような気もする。「昔からだから問題ない」で呑み込んできたものが、限界値を超えたような気もしている。断言できない。

だってこんな甘えた環境で暮らしているのにそんなはずがないからだ。

(それ以前の問題が解決されないままに眠らされている可能性に賭けている)

 

 

慰められなかった。作業してて涙の出る作業に夢中になれば涙が出なくなると思いますか?

涙が出たって甘えなので。異常じゃない。でもこう書くだけで涙が出てくる。もはや笑える。

音楽も救いにならない。今だと全部気の散る音にしか聞こえない。

でも作業中に何もなってないと現実しか見えなくてしんどくなる。脳の一部分のリソース潰して正気でなくしてからやっと本番だよ。

 

では本番5秒前です。スタート。

 

 

その仕事を見たいが仕事の成功に貢献したくない

10分タイムアタックで書こう。

 

映画「ザ・ファブル」の第二作の本予告が公開されましたね。

アクションに力を入れている彼のその仕事ぶりは見たい(あと堤さんは見たい)んですが、正直な話この映画の興行収入に貢献したくない。ので迷ってるんです、見に行くかを。以下理由。

 

原作は未読。映画前作は一回映画館で見てnot for meだったな……と思って帰った。

怒鳴り合いが苦手、爆発音の類の大きい音が苦手、などなど。あと日常パートのコメディシーンがまたもう……私のツボではなかった(婉曲表現)。

 

で、第二作制作発表。マジかー!そんなヒットしたの!?というのが正直な感想。

ヒロイン役に抜擢されたのは……、という話題であっこれはやばいと直感的に感じた。

私、過去にその彼女が所属していたグループについて言及しているんですが、紅白はともかく、記事中で言っている「この前のMステ」って彼女出てなかったんですよ。センターが別の子だったの。誰だったかは申し訳ないけど存じ上げない。そのバージョンを見て、いいな、と思ったので、彼女本人に対しては、ファン層の印象しかないんです。そう、悪い意味での。

 

loveyoubraggart.hatenablog.com

 

彼女本人については特に感想はない。紅白本番中にケガしちゃってかわいそうね、くらい。

でも、カルト的な人気を博しているのは知っている。

そうしたら、その出演作はどうなる?

どんなにアレでも、一定数の高評価は約束されちゃってますよねぇ。

だって、カルトだもの。お前ら教祖に対して妄信的だもの。違うか?

 

正直、主役だってね、一部カルト層あると思ってますよ。だから、関わりたくなくて、はてな以外のブロガーの記事しか読んでない。はてなは相対的に見れば冷静な層(あるいは、少なくとも冷静さを取り繕うことができる層)だと思ってるから。まあそんな私のどうでもいいポリシーはいいんだ。

 

とにかく、両者のファンのカルト層による、作品に対する一定の高評価が怖い。

だってね、本当は、not for meという言葉では足らないと思っているんだ。

他人にその面白さゆえに勧められるか?という観点から考えたら、黙るしかないもの。

今から怖い。ダメだったものにはダメと言えるファン層が少なすぎることが怖い。

崇拝対象(比喩)の功罪それぞれ認められてこそ、あるべき姿でしょう。

 

 

以下、「妄信的なファン」のような視点から言えば。

脚本がアレだろうが監督がアレだろうが、多くの場合には数字の責任は主役にあるとみなされる。だから、興行収入はある程度の数字を出してほしいところではある。「妄信的なファン」ならば。でも。でも……。

 

 

本予告PV見て、この演技は別のプランの方が好みだったかもなー、と思いながらTwitterでサーチかけたら、まさに演技が絶賛されてましてね。

ああ、駄目かもしれないと思いました。まさに、もう、文字通り字義通りにnot for me,私はこの映画のターゲットではなかった。

なので、さようならが選択肢のひとつになってしまう。悲しいな。個人仕事があったからこそのグループの長期の存続だと思っているので、なるべくなら観て評価したいのですが。

 

「あるべき姿」でいたいので、この仕事はどういう経緯のお仕事だったのかな、といつも考え、調べます。主演俳優であることが多いので。その作品自体よりもバックグラウンドを重視しているのではないか、と言い換えるとなんだかな、と思うけども、とにかくそういうスタンスでいます。芸能エンタメ事情に詳しくはない私でも風の噂で聞いたことがある程度には、事務所の力が強いみたいだからね。

なるべくなら、その力がまっすぐに評価されて作られたものであると願うけど、願うけども、まあ、うん。そういう世界ではないよね。だからこそまだ悩む。どう評価すべきか?仕事があること自体で評価できる世界観で、彼をどう見るか?

分からないことのほうが多いから、風の噂を鵜呑みにしたうかつな評価はできない。となれば、自身の目で見てよいものだったか、が全て。そう考えていますが、今回みたいなnot for meな作品が増えてしまうとそれすらできなくなるので。

貴重な作品のひとつが私から消えるかもしれない。それもこの絶望感の構成要素のひとつでしょうね。

 

10分どころか40分くらいかけました。ダメだね。

こんなこと書き残しておいて、いざ公開迎えたら観に行ったりしてね。あり得る。

現状では9割観に行かないと思います。でも、もしがあったら、その場合はまた書こう。

 

 

 

電子の海に流すには、取り繕うのをやめられない

 

こんにちは。今日はいい天気でしたね。

 

電車に乗る距離のバイトがなくなり(元々産休・育休でいなくなる社員さんの穴埋めだった)、本当にこの町だけで自分の生活が済むようになってしまいました。

そうしたら、気軽に人に会えない状況のためか、このフラストレーションを晴らす方法が分からなくなりました。

金もないから飲食店でお茶や酒を楽しむような気にもなれなくて、またひとりで飲食店に入っても落ち着かない気がして、この2km圏内から積極的に出ない生活をしています。

負け惜しみかもしれないし、期待したことから期待通りのものを得られないのが怖くて出かけないのかもしれない。

 

誰と話してるの?

 

今日は天気がいいと知っていたから出かける予定を立てた。諸事情によりぽしゃった。楽しみにしてたからとても悲しい。町の外に出る用事もないし、用事がないと出かけない私の行ける範囲には、水しかない。だだっぴろい水。先ほど散歩ついでに見てきたが今日も水平線が綺麗だった。でも本当はは緑があるところに行きたくて、だからお願いしてたんだけど、ぽしゃった。それだけなんだけど、自分の中でうまく解消できなくて、こうやって、ぐちぐちと。手帳には毎日のページがあって、そこに書き残すこともできるけど、筆跡は案外いろんなものを映し出してしまうのであんまりこういうことを直筆で書き残したくない。その点電子はいい。全部フラットになる。ブログやらツイの壁打ち垢やら様々に書き残してるけど、あれはいい。あとから見たら全部フラット。でもたまに読み返すと、フラットさゆえに今の自分にそのまま響いて、また悲しくなる。

 

よくわからない。自室が片付かない。リビングも片付いてないね私の仕事なのに。あとでやろう。夜ご飯つくったついでに。今日はいい加減冷凍してある手羽元を使わなければまずいので、あれを使う。それもつくるけど、もう1日何も口にできていない人間に対しては負担だろうから、何か別に作る必要がある。やわらかく煮たうどんは鉄板だが、鉄板ゆえに「そんなものでいいのか」という抵抗もあるけど、考える力もないので、煮込みうどんでいいだろう。豆苗しか青菜(青菜と分類していいのか?)がないがどうしよう。ふつうに煮込みうどんを作って、上に野菜の卵とじを載せるとかどうかな。それ美味しそう。そうしよう。しかし卵とじ、理想のように作れない。たぶん毎回たまごに対して具材を多く用意しすぎている。卵くらいけちるな。物価の王様だぞ。

 

ようは参ってるのだ。この時勢に参ってたところにもうひとつ人生のウィークポイントを思いきり殴り抜かれたのでもう参ってるんだ。参るの最上級の表現ってなんだろう。潰れる?まあなんでもいいや…。表現が見つかったところで別に助からないのだ、誰も。

 

困難は越えられる人のところにしか来ない、と私に言ったあの時の先生、お元気ですか。その言葉を選んでくれた先生のお心にはとても感謝しています。でも私は、素直にそれを受け止められるような人間にはなれず、今も負担はただただ負担としか感じられないのです。本当はとても恵まれた生活をしているのに、静かに堕落して毎日を殺して自身は死んでいます。100と0しか知らないのです。「ものすごく頑張る」と「堕落する」しか私には理解できないのです。「がんばらない生活」ってなんでしょう。「ものすごく頑張った生活」を自らは達成できることを知ってしまっているからでしょうか、難しいのです。すべて100%で達成できないならばそれは「何もしていない」と同じなのです。ここまでのことをそのままそっくり他人に言ったら酷い暴力になると感じられる力はあるのに、自らには平気で言えるどころか、「これでも足らない」のです私めには。努力はこの人生の始まりから今に至るまで、いつだって足りていないと感じています。でももう、やりたくないと嘆くのです。分からなくなりました。もともと何も分かっていなかったのに、分かったふりをするのが上手かっただけかもしれません。あるいは、何も見えていなかったか。どちらにせよ、その頃の方が良かったに違いないと盲信する程度に弱っています。私も助かりたい、私「こそ」救われるべきだという邪念にずっと憑りつかれているのです。思いきり泣きたいですね。こんなにぐちぐちとごまかさなくとも、それで解決するのかもしれません。

 

いつでも正気を保てる方法を、随時募集しています。

 

いまだ言葉に表しきれない劣情を、この世界のどこかにいる君へ

予定を変更してキングダムハーツ ファイナルミックス(以下KHFM)HDリマスター版(PS4)をクリアして感じた話をします。

(会然TREKの4月公演、チケット当たっててかつ公演日が誕生日だったので本当に残念……。OLIVE期待してます。)

 

KHといえば去年念願のKHⅢが発売されましたね。この前追加DLCも出たらしいね。KHシリーズを時系列順に遊んでからⅢに入りたいとかいうアホ始めたおかげでまだRe:COMと358/2(時系列が重なるので同時進行)にいるわけですが!

シークレットムービー見たさにプラウド(かつ晩成型)で始めたら終盤まで雑魚に何度倒されたことでしょう。ソラごめんね。標準型にすればよかったよ。クリア時点でLV65だったかな。

 

KHとの出会いは中学生の時に同じ部活の友人がKHⅡを貸してくれたことからでした。ゲームの名前と主人公がソラという少年であることくらいは知ってたのでプレイ始めたらソラじゃなくて驚くわけですが。なのに夏休みが終わる瞬間に立ち会っている時、ロクサスと別れたくないという思いでいっぱいになっていたので、このゲームとの親和性は高かったと推測します。

それから世界の至るところで「リクなのか?」と聞き回るソラに苦笑したり、終盤リクがとうとう出てきたと思ってたらなんかいかつい男になってて驚いたのにそれに縋り付いて涙するソラにまた驚いたり、ディズこと賢者アンセムが何をしたいのか分からぬままにリクが元の姿に戻り(歴代であのビジュアルが一番好きかも)、そしてEDを迎えたわけです。とにかくみんな家に帰れてよかったね、そんな感想だったかと。

その後KHシリーズはほぼ発売するごとに遊んできました。Ⅱクリア後にKH無印を購入、その後KHⅡFMも購入しRe:COM、ⅡFM、358/2、BbS、3Dと。3Dだけはその頃家を出たどさくさでソフトを紛失してしまい、去年か一昨年にリマスター版でクリアしました。最近実家片付けてたら紛失したソフト出てきて笑った。

 

さて、Ⅱは日本版、北米版と何度も遊んだわりに、Ⅰは一度しかクリアしていませんでした。酔うからです。リマスターの際カメラワークを改善したと聞きましたが今回も酔いました。ワンダーランドが一番ダメ、気持ち悪すぎて涙目になりながらやりました。

そして数日前、10年ぶり以上にEDを、そして念願のKHFM版シークレットムービーに到達したわけです。

 

これバッドエンドと違うん?

私はⅡから遊んだので、当時遊んだⅠはⅡの補完という位置づけでしかなかったのです。

「KHⅡというゲームはとても面白い」という記憶*1はあるけども、細部は忘れているという状態の今遊んだら、これ、Ⅰ単体で見たらバッドエンドもいいところじゃないですか、ねえ。

ソラは光だか狭間だか分からん世界に、リクは闇の世界に取り残され、家に帰れたのはカイリだけ、そのカイリだって友人を一気に2人も失った。こんなことってある?故郷に帰らせてもらえないなんて……あれだけ雑魚に倒されたソラと私が可哀そうじゃん

闇の扉を閉めるときソラを見るリクの表情で吐きそうになった、胸が詰まって。涙じゃなくて胃からなんか出そうな詰まり方だった。やっと取り戻せた友人が目の前にいるのに、名前を呼ぶどころでもなく、友人を扉の向こうにおいたまま世界の扉を閉めなきゃいならない。今まで頑張ってきたのに全然報われないひどい状況に置かれてるのにソラは悲しい顔ひとつせずに扉を閉めることに注力する。ねえ冒険に出たとき本当に子供のようだったじゃない、なんでそんな凛々しい顔で世界を救うために自分たちを二の次にできるの。リクもリクだよ、カイリを頼むぜって。ねえ、ねえ!!!!!!!!!!

その後カイリと再会するわけですが(エンド・オブ・ザ・ワールド(以下EOW)の深淵近くにデスティニーアイランドが取り込まれてて、その再生途中にカイリが呼ばれてソラと再会できた、という解釈をしています)、頼むと言われたその場で離ればなれになるわけで、また会えるから、と言いながらも名残惜しそうに手を伸ばすソラが……辛く……てさあ……。

 

閑話休題。EOWに向かう前のトラヴァースタウンでのカイリとの会話ムービーが好きで。カイリが連れて行ってくれないソラに対して、「足手まとい?」と聞くんですね素直なトーンで。それに対してソラも「そういうこと」と素直に返すシーンに信頼感が200%詰まってて……カイリは明確にヒロインなんですけど自分の足でちゃんと立ってるんですよ……足手まといであることを肯定されてもなお、素直なままに「そっか」と返せるカイリは強い。Ⅱの終盤、リクからカイリにキーブレードが手渡されたとき、当時はソラ(とロクサスとリク)以外がキーブレード持つのなんだか嫌でちょっとむっと思ったりしたんですけどⅠからやり直したことであの瞬間に納得がいきましたね……カイリは本当に強い子だよ……。ソラとリクと本当に対等な立ち位置で一緒にいるのが好き。

 

この先続編が出ていなかったら私にとってはバッドエンド以外の何ものでもなかった(ソラ達からすれば、世界が救われたのだからきっと何の後悔もしないのだろうし、きっとカイリとの繋がりを辿って遠いいつかには帰ってこられただろうと思いたい)Ⅰのエンディングという明確な別れを彼らと同じ立ち位置で感じられたことで、Ⅱをまたより楽しく遊べそうです。今からあのカタルシスを120%で感じられることでもう興奮している。リクとの再会シーンでソラと共に私も泣きかねない。

 

 

以下、こじらせたオタクの劣情を、一応、オブラートに包んだ吐き出しです。

ちょっとソラ、自分の腕にかかった他人の重さに潰されてくれないかな(願望)

ソラが本当にキーブレードに選ばれただけの一般人として描かれているⅠを改めて遊んだことで、彼にかかった様々な重荷について思いを馳せることがプレイ中にありました。ただの子供、でもキーブレードの勇者になった彼はそれに伴う様々のことを当然のこととして乗り越えていくわけですね。Ⅱまでは私も何とも思っていませんでした。それまでの冒険は世界のためと同時に友達のための冒険だったからです。でも(その後の作品の展開で)ソラにはたくさんの人が繋がっていることになり、その人たちの痛みを癒せるのはソラだけ、ということになりました。プレイヤーの私は、ソラの知らないところでソラにたくさんのものが積み重なったことがなんだか嫌でした。ソラが直接関係したのはロクサスとアクセルだけでしょうに、と。しかしその後KH3Dにて、リクだけがキーブレードマスターに承認された時、ソラだけではどうにもならない事情で彼は敵の手中に落ちてしまったのに彼はキーブレードマスターになれなかった(昔ならただただその事実に憤慨していたでしょうが、大人になってしまった今は、決してそのことだけが理由ではなく、ストーリー上の都合であるとかいろいろなことの想像がつきますが)ことに関してプレイヤーの私は納得がいかなかったのに対して、画面の中のソラはリクが承認されて本当に喜んでいました。私の中のソラは少し悔しいような表情をした後に、その後満面の笑顔でリクを祝福する少年だったのに。あの時、決定的にソラと自分が乖離したのを感じました。同一視していたわけではなく、ソラは私の知らないところで成長していたんですね。このソラなら、人々の痛みを癒しに行ける。

だからこそ、自分の身に降りかかったものの重さに苦しんでほしい。

いやあのなんでこんなこと言うのかって……KHFMクリアして、ずっと見てなかったKHⅢ公式サイトのトレーラー群を久々に観に行っちゃったんですよね……そしたらこれを見てしまって……うえっ今PCで見て気がついたサムネのソラ涙流してたんだ……やめてくれ……

 

youtu.be

 

これが……あの……あまりに衝撃過ぎてもう見たくないので一度しか見てないんですけど……映像終盤にいきなり慟哭が入ってくるんですね。最初あまりの声にそれが声だって気がつけなかったんですよ、ソラの声だって分からなかった。確か「もう戦えないよ!!」とか言ってるんですねあのソラが。あの……ソラが……。

その日はその後何も手につきませんでしたね。誰か私の中で死んだかのように、気を抜くと思いだしてしまってもうどうにもならない。思い出して何を思っているのか。

①あの明るく元気なソラがあんなに辛そうな声で悲鳴を心の底から上げている。

②あの明るく元気なソラがそんなに悲痛な声出せるんだ感情のままに悲しい辛い苦しい嫌だといったネガティブな感情に支配されているんだそんなに……そんなにつらいことが降りかかるんだ……????????????(上がるテンション)

 

そう私は闇のオタクです自覚があります。苦しむ姿に狂おしいほどの悦びを感じちゃうタイプなんですね。いるよね同志、一定数は。

ソラはずっと誰かのために、世界のために戦ってきた。世界を狂わす敵を倒すために。ではその刃の向かう先が自分になったら?迷いなく刃を向けるでしょう実際カイリのために一度彼はハートレスになってますから。できることがあれば実行するのが彼です。そんな彼があのような苦悶の声を上げるような出来事とは????一体????????何がそこまで彼を追い詰めた???????????正直顔がニヤケるのは止められない。他人の痛みを感じられて、それに対して行動ができるソラだけど、気がつけていなかった他人の痛みを癒してきた痛みが自身に降りかかったとしたら?……というシーンであってくれ、今までの冒険の積もり積もった負債の重さに吐きそうになってくれよ。いや吐いてくれ。自分がハートレスを倒すと機関の思うツボだと判明したときですらあそこまでではなかった、となると本当に、本当に何か起こるんでしょうね。悲しい思いしてほしくない私ととにかく辛く苦しくなってほしい私がせめぎ合っています仕方ないよね光も闇も持ち合わせるよ人間だもの。

 

あとね、彼らが故郷に帰れないことを悲しんだことで、自分が大人になってしまったことを感じました。彼らの別離を「少年たちに降りかかった悲しみ」と感じてしまったんだよね。当時遊んだときは「自分のこと」(≠ソラ達と自分の同一視)だから悲しくなかったのに。そうだよソラは同い年だったんだもん……。リクを兄貴にしたいとずっと言っていた私はある時Ⅱのリクの年齢を超えて悲しみ、Ⅲが出ないことを悲しみ、そして気づけばこんな歳になっていたわけです。そんな自分の変化に気づかされたこともまた、さみしい。

 

……で、今はRe:COMやってます(飽きたら358/2を見ている)。プレイヤーの記憶に無いことを言い出す彼らに対するプレイヤーの恐怖といったら。ほんと面白い作品ですよね。デッキ組むコツ思い出すまでしんどかったですけど。

KH3D遊び終わったときに、KH無印に関連するゼアノート関連のこと忘れちゃったな~と思ったことが遊び直しのきっかけなのですが、KHFMのクリアに1年以上かけてしまったせいでもう3Dの記憶がない。プラウドクリアしたデータがあるはずなので、それを引き継いでビギナーで遊び直す予定です。KHⅢにいつたどり着くのか。こうご期待。FF7Rも体験版面白かったからやりたいんすけどね!!!!!!!

 

次回こそ会然TREK大阪公演のこと書きますって……あと、東京のことも書きたいんだ……。

 

 

*1:私には兄弟が複数いて、それぞれがそれぞれのデータでプレイしている時もお互いに他の兄弟のプレイを見ていたので、何周も何周も遊んだ(ような)こともあり、子供時代の記憶としても余計に思い出深いのです