ネオサイエンスフィクション

自分の言葉で「好き」と言え

先の未来の感傷は、目の前に迫ればただの明日

何回もそういうこと経験してるはずなんだけどな。環境が変わるので、自ずと今の環境を手放す。「手放す」ことを「失う」ことと同義だと感じて、どんなものであれ「失う」のは怖いので、結果として雑な感傷を抱いたままタイムリミットを通り越しました。

今年が始まったときには、あと9ヶ月、なんてカウントダウンしてたのにな。迎えたその瞬間は一瞬。切り替わりも一瞬。9か月の切なさはなんだったのか。

こんにちは、社会的に生まれたばかりの私です。新しくなりました。

 

以前の社会的な私は取り除かれていなくなったけど、パーソナリティは当然何も変わらなかった。思っているよりも何も変わらない。いや、周りの環境に引っ張られて生活リズムだけ変わりそう。圧倒的な朝型へ。圧倒的に夜型人間な気がしているので、たぶんどこかで無理が出る気はするけど、しばらくはこれでやっていこう。

 

誰かのためにやっている、と考えたらそれはもうすぐに行き詰まるけど、私だって目の前の人だってひとつの別個体としての成人なのだから、生命と精神の危機に瀕しない限りはあまり踏み込みすぎない。求められれば応えられる範囲で応える。私もSOSは自由に出していいし、応えてもらえた分にありがたいなという気持ちを持つ。それだけかな、と3日過ごして思います。

 

形だけ見繕った理想を語る言葉より、体裁のための言葉を必要としない関係、できないことはできないと、そう言いあえる環境を(お互いに)手に入れた、それが私の幸せなのだなと、感じました。