ネオサイエンスフィクション

自分の言葉で「好き」と言え

夏過ぎて、春も過ぐ

夏が終わりましたね。夏休みはまだあります。

春も終わる気がしています。これからがいわゆる「この世の春」、なのだろうけど。ああ何故。

整理したい。

 

ぽつぽつと修論を書いたり、修論につなぐ資料をこつこつ訳したり、引っ越しの準備をしたりしていました、今週は。

さっきどら焼きを食べました。カステラとどら焼きのお供は牛乳だと相場は決まっている。夕飯食べられる気がしない。

 

引っ越すのです。諸般の事情で。この部屋はそのまま妹が使うことになった。なのでこの前呼びつけて一緒に大掃除した。今、荷物の減ったこの部屋は、ひどくこざっぱりした居心地のいい空間になっている。引っ越しが学期中の荒れた時期でなくてよかったと強く思う。

契約時、まだ学部生だった私はこの部屋を自らの名義で借りることができず、ここを借りているのは名義上親になっている。なので、まあ、問題はないかと、ぼんやりとそう考えている。問題が発生したらその時はちゃんと対処しよう。

 

そう、引っ越す、その諸般の事情。私の中でひとつの時代が終わる気がする。課程修了するわけでもないのに。夏の終わりは私の中の何かも持って去った。

私という一個人が私であると認識する私にはあくまで連続性があり、引っ越したとしてもそれはなんら変化しないはずだ。そのはず、だし、引っ越したその日から私という人間が変質するわけではない。ガワすら変わらない。変わるのは社会的なものだけ。ああ。何も変わらない、何も変わらないよと言い聞かせてはいるもののなんだかアイデンティティが揺らぐんだよ。

 

このタイミングで夕飯に誘われた。早めのごはんとしよう。このタイミングだと分かっていれば、ちくしょうどら焼きめ。でかけましょう。

ですから引っ越すので諸友人方、遊んでください。駆け込み需要。9月下旬まで。私はさみしがりなので。